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来春、ついに『アレ国志』コミックス発売決定!

「バショクショック!同盟」様と末弘先生のブログで見て狂喜乱舞。
色々企画も考えられているようで楽しみだ。
読者が引くくらいの企画って、一体どんな企画…?
ああ、春が待ち遠しい!

ということは、あとは『殿といっしょ』のコミックス化を待つだけということだな。
お願いします、メディアファクトリー様。

そういえば。
フルカラー版(アンケート送信後)の政宗の服装に度肝を抜かれました。
色キチ…!
でも、あの政宗ならアリかもしれない。
眼帯!眼帯!

2006.12.20 休載!
夕飯の買い出しのついでに本屋にダッシュしてUJ1月号を買う。

が、しかし、皇国が休載!
しかも体調不良のためって…!
何があったのですか伊藤先生。

1号でも早く復帰してほしいけど、無理もなさらないでいただきたい、という我が儘なジレンマ。
1日でも早い復調をお祈りしております。

それにしても、皇国のないUJをどうしたらよいのだろう。
ほとんど読む所が…。
付録のカレンダーに皇国があったのが救いだ。
ずっと2月のままにしてそう。

ちなみに、本当は昨日UJも買うつもりでいた。
結局1日日付を間違えていて買えなかったのは内緒の方向で。

2006.12.19 雑誌
久々に地元の大型書店へ行って雑誌を買って来た。
今更の「三国志マガジン」VOL.12と新潮社の新しい雑誌「yom yom(ヨムヨム)」vol.1。

「三国志マガジン」は言うまでもなく『アレ国志』目当てだが、「ヨムヨム」を買ったのは、『家守綺譚』が載っていたから。
「読み切り」となっていたので今度いつ読めるか分からないのと、もう続きはないと思っていたので狂喜しつつレジへ。

そして、文庫版の『家守綺譚』が出ているのにも初めて気付いた。
が、ハードカバー版と違う箇所があるかどうか確かめられなかったので見送り。
他にも先日ネットで買った本やもっと以前に買った本が積み本になっているのもその理由。

『家守綺譚』だけ読んだら、きっと他の作品は後回しだろう。

余談だが、私はコミックスは買ったら(特別な事情がない限り)すぐに読んでしまうのに、小説は何故か時間を置いてしまうことが多い。
それでも欲しい本は後から後から出て来るので積み本が出来てしまうという奇妙な事態に。

こんな行動を取ってしまうという人が私以外にもきっといると信じている(信じたい)。

2006.11.18 新刊!
久々に友人に会って20日のAngeloライブのチケットを受け取って来た。
整理番号が微妙、と言われたのだが100番台なら十分良いと思う。
何しろ同じ会場で1000番台とかいう番号を、私は取ってしまったことがあるのだから。
当日が今から楽しみだ。

そしてその後、今月号のUJと『皇国の守護者』4巻、『SHIDOH』7巻を買う。

(以下ネタバレあり)

先の記事の続き(すでに昨日のことだが)

UJを読まなかった代わりに、以前から気になっていた高橋ツトムの『SHIDOH―士道』を読んでみた。

戦国モノは漫画、小説問わず見付けたら食指が動く場合が多いのだが、幕末モノを読むのは久々。
ひょっとしたらピスメ以来かもしれない。
実は高橋氏の作品は『地雷震』を少し流し読みしたくらいで他はほとんど読んだことがない。
でもその存在感が常々気になっていた所に時代モノと言う組み合わせ。
いつかいつかと思いながら、今になってしまったのが悔やまれる作品だった。

清蔵さんの単なるアウトローかと思いきや実は組織を切り捨てていない所とか、あれで結構面倒見が良さそうな所とか好きだったりする。
百舌も、この女性キャラほぼ総無視な私にしては珍しく好き。
他に好きな女性キャラなんて沙村弘明氏のキャラくらいだ。
(ちなみに、私が時代モノを描かれる漫画家で一番すげぇ!と思っているのが沙村氏。今も昔も)

そして何より、雪村兄弟!
なんだあの兄弟、可愛いな!(笑)

翔はずっと弟思いであって欲しい。
ただ、どちらかと言えば優等生な子に見えるけど、信じているものが壊れた時に取り返しがつかなくなりそうな雰囲気もあると思う。
そんな事態が起こらないことを祈る。

源はあれだ。
ナントカな子ほど可愛いってやつだ(笑)。
最初着物の裾を端折った下が生足+脚半かと思って驚いた。
いくらなんでもそりゃやんちゃすぎだろう、と。
よく見たら履いていてほっとしたけど。
お兄ちゃんはそのうち越える壁(もう越えてる?)でありながらも大好きでいてほしいという希望。
ずっと仲良くしていてください。

とここまで書いてきて、実は最新刊の6巻をまだ読んでいないという。
何故かバイト先の店に置いていない。
それってどうなの、漫画喫茶として。

早く入れてください…。
2006.09.03 凹。
皇国原作8巻読了。

…凹む。
理由はまた先日散々語ったあの辺り。
途中で苦虫噛み潰したような顔でもしていたかもしれない。
このままだと、副官と「まったく好みではない」展開になりそうで戦々恐々。

ああ、凹む。

2006.08.31 悲しい性
皇国原作7巻まで読了。

やっぱり血なまぐさい戦場こそが新城の生きる世界だと思えてしまう、悲しいことに。

以下は感想と言うか何と言うか、納得しかねることなども。
ネタバレあり。
2006.08.12 原作を!
勢い余って『皇国の守護者』原作を読み始める。

やっぱり好きだ、新城直衛!
まだ1巻を読み終わった所だが、好きな場面が多すぎる。
好きな台詞も多すぎる。
でも、新城は原作では凶相ということになっていた。
好きなんだけどな、あの顔…凶相って…。

と言うか、に、西田…ッ!?
あなた一体どうしたの!?(どうしたのって)
あの(ある意味での)扱いの良さは漫画版だけだったのか。

西田のことも含めて、原作と漫画は思った以上に随分と違う。
冒頭から天狼会戦後までが特に独自の解釈で描かれていて、ある意味読者に親切。
原作にはない場面でも、世界観が壊されていないのが素晴らしい。
むしろ、それぞれのキャラへの愛着が倍増。
作画が伊藤先生で良かったと心底思った。

ちなみに私は原作を読むまで千早のことを当たり前のようにオスだと思っていたのだが…漫画版に書いてあった記憶がない。
言われてみれば「千早」という名前は確かにメスっぽいかもしれないが、私は疑いもしなかった。
むしろ、オスに「千早」って名前は格好良い、とまで思っていた。
知らないというのは怖いことだ。

そういえば本屋の店頭で初めて気が付いたのだが、原作8巻の挿画が平野耕太!(思わず呼び捨て)
まさか、今現在の個人的2大「滾る漫画」(先日の記事参照)の両方に平野先生が関わっていたとは。
偶然って凄い。

そして、調子に乗って主張に同盟のバナーをぺたり。
小心者なので参加表明はしていないが。
あー、猫可愛い。
2006.08.10 最近、
なんだかギャグ漫画の波が来ている、個人的に。
それで前出の通り『メゾン・ド・ペンギン』も買ってしまったのだが。
登場人物にはムカつく奴もいるし、下ネタも多いのだが、何故か気になる漫画。
作中で打ち切り打ち切りと言う割には続いていて、しかもコミックスまで出るというのだから世の中って分からない。

ああいう漫画は(ネタバレにもなるし)感想を云々する類いのものではないと思うので、これ以上はあえて胸に秘めておく。
ただ、ツンデレを通り越したツンエロという新しいジャンルを確立したのはちょっとした偉業かもしれない(笑)。

ついでに最近のJャンプ(伏せ字の意味ない)について。

新連載が連続で始まったりしているが、どうにも微妙な塩梅。
野球漫画の『OVER TIME』は、「スポーツと憑依の組み合わせ」にデジャヴを感じてしまう。
テコンドーではなく野球であることの必然性はともかく、これからの展開に期待。

もう一作の『斬』だが…これは私としては如何ともし難い。
別にあちらもどうもして欲しくないだろうが、言いたいことあるので少し。
先に言い訳しておくなら、私に悪意はないということ。
少々趣味の偏ったいち読者としての率直な感想だということ。

帯刀が一般的になった世界が舞台らしい点は、実際にこの国にもあったことだし異を挟む気はない。
(そもそも作品が成り立たなくなってしまう)
だが、すぐに抜刀する人間ばかりなのはいかがなものか。
それなりの誇りやステータス、あるいは力の誇示を刀に求めるなら、させないほうが説得力があると私は思うだが。
直前の記事で書いたこととも関係してくるが、刀に、抜刀に重みがない。
命に関わる行為を成す、ということに対しての重みと言ってもいいかもしれない。
主人公にはそれなりの覚悟があるように見えても、世界観としての覚悟がない。

それは刀に関する作画にも言える。
これは画力云々の話でなく、刀を描く気があるかどうか。
殺陣のシーンの研究をしていないなんてことはまさかありえないだろうし、迫力や構図あるいは絵そのものはこの先いやでも洗練されるだろう。
だが、刀そのものの作画には疑問を呈さざるをえない。
これは絵の持ち味や技術とは別問題。
刀が大事な位置を占める漫画において、例えばアップになった時に、柄巻き(刀の握る部分に巻かれた紐)が省略されることが許され得るのか。
細かいことを言うようだが、どうも雰囲気からして、構造を理解していないとしか思えない。
つまり、そういう意味で許されるか否か。

一から勉強して全部理解するべきとは言わない(言えない)が、基本を無視するくらいなら新しくデザインするなりして、日本刀に頼るのはやめた方がマシだとは言える。
素人の私にさえ記憶にあるが、柄巻きにも何種類もあって、その中には例えばグリップ力が上がる巻き方というのも存在する。
つまり、その用途にあった巻き方ひとつで個性を表現することさえ可能な訳だ。
刃が研いであるかないかだけで分けるのではなく。

加えて主人公とクラスメイトの女子(ヒロイン?)の討ち合いのシーン。
その女子が鋼鉄の刀を片手で軽々と扱っているのを見て、おいおい!とツッコミを入れたのは私だけではあるまい。
両手になったのは数度の打ち込み時のみ。
そんな女子と討ち合って勝ったと言われても、主人公の怪力が説得力を持つだろうか。

そんな訳で、ざっと流し読みしただけで刀に対する意識の低さが見えてしまい、私はじっくり読む気にならなかった。
勉強不足なのか、どうでもいいと思っているのか、それとも別の原因があるのかは分からないが、少々意識が低いのではないだろうか。
あるいはそんな細かいことにこだわらず、勢いで読ませる気なのだとしたら、それは絵柄に沿うていないと言わざるをえない。

比べるべきではないかもしれないが、例えば『無限の住人』。
作者の沙村先生がどれほど勉強したのか作中から窺い知ることは出来ないが、画面そのものが圧倒的な説得力を持っている。
もし間違いがあったとしても、それが『無限の住人』の世界なのだと納得出来てしまう。

現実をぶち壊して新しい世界を構築するつもりなら、独特な絵柄を生かして、そういう力を持った絵を描いて欲しいと思う。

以上、戦モノ好きの戯言でした。
お粗末!

昨日投稿したはずの日記がされていなかった。
かなり真剣に書いたので、加筆してそのまま今日投稿。

今日(もう昨日)は長崎の原爆記念日。
そんな日に『皇国の守護者』おもしれぇ!とか言ってたぎってて申し訳ない。
だってずっと気になってたんだもん(キモ!)。
たぎるという表現を使いたくなるのは久々(他には平野氏の『ヘルシング』くらい)。
他の本買うついでに思い切って買って良かった。

ヤングJャンプ系でこんなに面白いと思ったのは初めてかもしれない。
何故なら今までずっと、ヤングJャンプにはいつも微妙にツボをハズされてきたから。
青年誌ならむしろヤングMガジン系の方が好きな作品が多いのだが、しかし少年誌は断然Jャンプ系。
自分でもこの辺りの微妙な系統の違いは言葉では説明し辛いのだが。

『皇国の守護者』は架空の世界で起こる戦争が舞台の話。
主人公の新城が剣牙虎(サーベルタイガー)と一緒に闘うという設定がまず面白い。
中尉から野戦昇進していく新城だが、またこの人が、強くて、小心で(それを嫌悪していて)、容赦なくて、優しくて(それを偽善と分かっていて)、人に誤解されるのも厭わない切れ者で、戦場においてはどこかがキレているという複雑な人物。
主人公には向いていない人格かもしれないが、私はそれがとても好きだ。

そして、千早(新城の剣牙虎)が可愛い。
デカくて、獰猛で、言うなれば人殺しの道具に使われているのに、新城に心底懐いていたり、健気に心配する素振りを見せたり、と可愛く見えてしまう。
剣牙兵(サーベルタイガーを使う部隊)の皆から剣牙虎たちは「猫」と呼ばれているが、その呼称もあながち間違いではないかも、と思ってしまうくらい。
あと、他の「猫」も含めて名前も素敵。
月刊誌なのでなかなか続きが出ないのがもどかしい(原作は読んでいないので)。
でも、その分、質には期待出来る思う。
上役や部下との食い違い、圧倒的多数の敵に対する恐怖、欺瞞をもって部下を励ますことへの嫌悪、戦闘の度におとずれる自己嫌悪。
およそ今の自分には関係ないもののようで、そのくせ深い所に突き刺さる。
綺麗事で戦争は出来ないってことは頭では分かるが、こうして生々しく描かれると痛いものだ。

今現在、私がどっぷりハマっている戦国時代と「闘う」という点においては共通しているが、どうもその質が違うように感じる。
近現代戦争に近く、美化されていない(出来ない)分『皇国の守護者』の方が重くかつ泥臭く感じるのかもしれない。
以前、大河の『独眼竜政宗』の合戦シーンについて、「今見返せば20年前の作品だけあって迫力が足りない」という旨の評を読んだことがあるのだが、私は実際にドラマを見てもそうは思わなかった。
それは、合戦なんてどうしたって泥臭いものでしかないと思うからだ。

将として大軍を動かし戦闘に勝利する、あるいは寡兵で大軍を撃破する。
それは合戦モノの醍醐味だし、私自身もそこにこの上なく魅力を感じる。
その一方で、戦争という現場レベルで懊悩する一個人にもまた、違う種類の魅力があると思う。
その辺りが私が何だかんだ言って軍事モノから離れられない理由なのだろう。
もっともこれも、戦争に直接関わりのない人生だから言えることなのかもしれないが。

などと真面目に語ったが、いつもこんなことを考えているわけではなく、時期が時期だけに考えてしまったと言うか。
だからと言って、一度も考えずにこのジャンルに足を突っ込むのは間違いだとも思う訳で。

例えば、先ほども名前を出した『ヘルシング』等は一見誰も彼もが狂気的に戦闘を行っているようだが、セラスをそこに置くことで狂気を狂気と認識させている気がする。
どんな大儀名分があっても、戦争は戦争であること以上の意味を持たない。
命のやり取りに綺麗も汚いもない。
アーカードを見ているとそう思う。
アーカードは人間でないが故に人間を殺せるのだろうが、多かれ少なかれ戦闘中は皆同じようなものだ。
だから、『皇国の守護者』の新城も、戦場では普通ありえないような表現を見せるのだろう。

戦場ではその人のあらゆる感情がむき出しになり易い。
それも軍事モノに惹かれる理由のひとつだと思う。

誤解のないように補足したいのは、私が惹かれるのは、戦中に登場人物が見せる表情だったり動きだったり感情だったりであって、決して戦闘シーンそのものではないということ。
現実に起こる(起こっている)戦争・闘争については一切において否定の立場を取るつもりだということ。

それなのに戦国時代モノや戦闘モノから離れられないのは、何だかんだ言いつつ、(いつもは)何も考えずに萌えたりするから。
という駄目な結論。

ちなみに。
一緒に買った本というのが『メゾン・ド・ペンギン』だったりして、ますます世界に対して申し訳なくなる私。